TYPICA GUIDE
HONO roasteria ホノ ローステリア 村井 達哉

HONO roasteria

ホノ ローステリア 村井 達哉

コーヒーでつくる魔法の時間。ニュートラルな姿勢で“まだ見ぬ世界”を追い求める

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「飲み疲れないコーヒー」  をモットーにコーヒーを焙煎するHONO roasteria(以下、HONO)。自家焙煎したコーヒーを、カフェやレストランに卸す傍ら、ECサイトやポップアップイベントを通じて一般客にも届けてきた。

2010年にHONOを創業したのは、元ヴァイオリン職人の村井達哉さん。ヴァイオリン作家への道を一心に歩んでいた彼が、楽器の世界を離れ、コーヒーの世界に身を転じたのはなぜだったのか。コーヒーの何が彼の心を捉え続けているのか。その胸の裡を聞いた。(文中敬称略)

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「静」と「動」を兼ね備えたおいしさを

「おいしさ」というのは極めて複雑かつ曖昧なものだ。スペシャルティコーヒー協会では「特徴的な香味が明確に出ていて、希少性があるコーヒー」を高いカッピングスコアの基準として示しているが、必ずしもスコアとおいしさが比例するわけではない。大会チャンピオンや有名ロースターのコーヒーだからといっておいしいとも限らない。本人の嗜好はもちろん、見た目や環境、そのときの気分によっても左右されるのが「おいしさ」である。むろん、どういうおいしさを目指すかも、つくり手によって異なってくる。

「コーヒーの焙煎によって生まれるおいしさには『静的な価値』と『動的な価値』があり、どちらも大切なことだと感じています。炒りたての香ばしさや産地特有のフレーバー、狭いスイートスポットを絶妙につく抽出技術が魅力的で、その一杯にそえられたトークや情報によって感受性が高められたりもする。今、この瞬間に飲んでいるコーヒーがシンプルに美味しい、という気持ちよさが『静的な価値』。

一方、『動的な価値』は持続するおいしさです。その豆に備わっているおいしさを誰でも難なく引き出せるほうがいいし、2週間でまずくなってしまうよりも、3ヵ月しあわせな瞬間が長続きするほうがいい。おいしいのは当然として、なにより体への薬理作用がしっかりデザインされてなくてはと思います。

ぼくはこのふたつの価値を意識して焙煎しています。『静』と『動』を兼ね備えたコーヒーは、作り手の思いもよらない世界を見せてくれるからです」

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瞬間的なおいしさと持続的なおいしさ。その両者はときに、対立する価値、共存し得ない価値として捉えられる。一方を犠牲にしなければ成り立たないトレードオフのような見方も存在する。だが、村井が追求するのは、それらが融け合った先に立ち現れる世界なのだ。

「たとえば、善と悪は対になる存在として語られますが、実際は対ではないですよね。それが対だという捉え方は、特定の視点でしかないし錯覚でしかないと思うんです」

特定の視点に拠らないために村井が普段から心がけているのが、ニュートラルな感覚を保つことだ。日々同じ刺激を得ることで感覚が飽和し、鈍感になってしまう人間の習性から自身を引き離すため、「よほどの理由がない限り、一日3杯以上コーヒーを飲まない」「酸味の質を見ない一週間をつくる」といった決まりを設け、実践しているのだ。

「コーヒー屋をやっていると、一日5杯くらいコーヒーを飲むのが当たり前になります。となると、身体がその生活に順応し、知らないうちに味覚の物差しが変わってしまう。これまで、大会で勝つために重たいコーヒーをたくさん飲みすぎて身体を壊したあげく、この世界から去っていく人を何人か見てきました。コーヒーには強い薬理作用があるからこそ、丁寧に扱いたい。その思いが『飲み疲れないコーヒー』につながっていったんです」

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「あらゆる選択肢を排除しないこと」を肝に銘じて生きる村井には、「前向きな自己否定」という行動指針がある。自分がいいと思っているもの、自分が信じているものをあえて一度否定してみるのだという。

「ロースターの中には、焙煎の方法や理論には完璧な正解があると言う人もいます。でもそれはその人の正解なので、自分の正解は自分で見つけるしかない。コーヒーの味には、環境条件や豆の状態など、さまざまな要素が絡んでいるので、一つひとつの工程で細かくチューニングしていくことが欠かせません。そうやって手を伸ばし続けていれば、ちゃんと答えは降ってきてくれるんです。

現時点でのベストなやり方は、それ以上磨きようのない完成形かもしれない。でも新しい視点やアプローチを獲得すれば、まだ見ぬ何かを生み出せる可能性だってある。それを億劫がる人もいるかもしれませんが、楽器の世界にいた身からすると、コーヒーほど気軽に挑戦できるものはありません。

実際、ヴァイオリンを一本仕上げるのには、おそろしく時間がかかります。ぼくの場合、楽器修理の仕事をしながらヴァイオリンを製作していたので、年に2本つくれば上出来でした。新しいアイデアを試し、学びを得ながら、何度も改良をかさねるのがとても難しいことは想像してもらえると思います。その点、ひと釜あたり15-20分で焙煎できるコーヒーは何度も試行錯誤を重ねられるところがとっても素敵なんです」

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ヴァイオリン職人時代に見つけた道標

コーヒー業界には異業種から参入する人も珍しくない。ヴァイオリン職人から焙煎士に転身した村井もそのひとりだが、ふたつの仕事は地続きになっている。静と動を共存させようとする価値観の下地は、ヴァイオリン職人時代に築かれたものなのだ。

村井が音楽と日常を共にするようになったのは10代半ばの頃である。ジャンルを問わずに愉しんでいた音楽のひとつが、CDで聴くクラシックだった。だが、クラシックはアンプラグド(電力を使用しない楽器で演奏される音楽)である。よりリアルな体感を求めて、村井は生の音をライブで聴くためにコンサートに通い始めた。

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「東京の紀尾井ホールで催された演奏会が、本当にすばらしい体験だったんです。当時44歳、旬を迎えていたフランス人ピアニストのパスカル・ロジェ(Pascal Rogé)に、若手演奏家だったヴァイオリニストの小林美恵とチェリストの長谷川陽子。そのトリオが演奏したショーソンの作品(Ernest Chausson Piano Trio Op 3)は、ロジェによる懐の深いリードやお互いの気遣いなど、3人のコミュニケーションが見事で、それぞれのフレーズや聴きどころを聴衆にうまく表していました。呼吸のとりかた、アイコンタクトなどが、彼らの中で流れている音楽を現実の世界に連れてくるために使われていた。とにかく、いろいろな鮮やかさが詰まった『魔法』のような時間だったんです」

彼らがロックスターに映ったその日から、村井は弦楽器を弾きたいという気持ちを抑えられなくなっていた。やがてチェロを選んだ村井は、少ない貯金を取り崩しながら、どうにか楽器代やレッスン代を工面し、演奏スキルを磨いていった。しかし、楽器のメンテナンスをするために楽器店や工房に通うなかで、興味の対象は楽器そのものに移っていく。

「いろんな楽器を試奏させてもらったのですが、それぞれの楽器からでる音が違っていておもしろかったんです。弦楽器フェアに行って職人さんと仲良くなったり、工房に遊びにいったりしているうちに、弦楽器職人になりたい気持ちが膨らんできました。中が空洞になっている木の箱に4本の弦が張られている。それだけでどうしてこんなに豊かな音色がでるのか。興味が湧いて、どんどん弦楽器の魅力にのみ込まれていったんです」

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徒弟による修行時代を終えてから、村井は弦楽器輸入会社の工房で楽器づくりに携わるようになった。仕事かプライベートかを問わず、いろいろな作家がつくったヴァイオリンを見て刺激を受けるなかで、村井はあることに気づいていた。

「ヴァイオリンには、楽器職人ならば誰もがぶつかるおもしろい矛盾があります。細工がよくても音楽的にダメな楽器はけっこうある一方で、グァルネリ・デル・ジェスのように細工が悪くても音楽的にいい楽器もある。

私見ですが、楽器の魅力にはふたつの軸があると思っています。ひとつめは細工のよさ、デザインや造形の素敵さといった『静的な価値』。ふたつめは音を奏でる能力、演奏のなかで変えられる音色の幅といった『動的な価値』。

このふたつの軸は独立した別個の存在なので、それぞれの才能や技術をはぐくむ必要があります。ヴァイオリンの『静的な価値』を高めるには工芸美術の意識が欠かせないし、『動的な価値』を求めるなら建築的な意識が欠かせないと感じます。

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実は、楽器の中でいちばん長持ちするのがヴァイオリンです。約350年前につくられたアントニオ・ストラディヴァリ(Antonio Stradivari 1644-1737)のヴァイオリン族(音域の高い方から、ヴァイオリン・ビオラ・チェロの三種類)が現役最高峰として君臨しています。

ストラディヴァリといえば、イタリアの古都・クレモナ出身の世界一有名な「マエストロ・リュータイオ=弦楽器作家」。彼はギターやハープなどもつくっていますが、ほかの弦楽器ではそういうことは起こりません。

ヴァイオリン族の長寿の秘訣は、楽器の内部でエネルギーが安定しているところにあります。音を増幅して響きをつくる表板と裏板が、直線と平面のないアーチに削り出されていること。パーツによって強度の違う木材を使い分けていたりすること……。その構造を知れば知るほど、ヴァイオリン族は無駄なく仕上がったちいさな建築物であることに驚かされたのです。

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なかでも印象的なのは、日系ドイツ人のチェリスト・石坂団十郎さんの楽屋でストラディヴァリのチェロを手に取って見せてもらったときのことです。彼の神がかった美しい仕事が伝わってきて、本当に圧倒されたんです。そのリサイタルで石坂さんが弾いたメンデルスゾーンのチェロ・ソナタは、演奏も音色の幅もすばらしくて。

彼のチェロは1696年に製作されたもので、当時の時代背景を考えると異常なほど細工も精密で勢いがあります。まだ世に存在しなかった道具を自分で設計してつくり、最高の結果を生み出しているのが彼のすごいところです。

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でもぼくが一番惹かれていた弦楽器作家は、ミラノ出身のフェルディナンド・ガリンベルティ(Ferdinando Garimberti 1894-1982)。ストラディヴァリよりはずっと後世に生きた人です。彼は友人の弦楽器作家ロメオ・アントニアッツィと意気投合し、楽器制作に惹かれたところからキャリアを始めたのですが、それまでは家業の鍛冶屋で働いたり、奥さんと旅館を経営したりしていたそうです。

ガリンベルティは鍛冶屋で道具をいじっていたこともあり、楽器職人としても才能が花開いた作家史におけるキーパーソン。楽器製作学校の講師を務めた経験もあります。当時、個性的なカタチの楽器をつくるミラノの作家が多かったなかで、彼の美しいオリジナルモデルは生命のエネルギーを感じるほどフォルムが有機的で、アーチは本当にセクシーでした。加えて、音色も表現の幅もとても豊かでグラマラス。彼は『静』と『動』を兼ね備えた作家の典型例だと思っています。

ガリンベルティのビジョンが明確かつリアルに引きずり出されているのが、彼がつくった楽器の堪らないところです。個性的でありながら、技術的な完成度も抜群に高いなんて最高に恰好いいし、もはや魔法をつれてくるとさえ感じますよね」

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無限の可能性を求めて

楽器職人の道を迷いなく歩んでいた村井に予期せぬ出逢いが訪れたのは2007年のことである。その舞台となったのは、東京の赤羽橋にあるエスプレッソバー。エスプレッソの伝道師として世界的に知られるデイビッド・ショマーがオーナーを務めるシアトルのカフェ「Espresso Vivace(ヴィヴァーチェ)」の系列店のような店だった。

「そこの豆を買って、家で淹れたときのおいしさは今も忘れません。生産者や精製方法など、そのコーヒーの背景を言葉で説明されたわけじゃないのに、ぼくの頭のなかでは、行ったこともない生産地の景色が広がっていた。コーヒーの味そのものに、豆のルーツを思い起こさせるだけの力が宿っていたんです」

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胸を焦がすような鮮烈な体験は、村井を再びその店へと向かわせた。もう一度、あの味に出逢いたくて、村井は産地も種類も同じコーヒーを購入した。だが、毎回、その期待は裏切られた。同じ豆なのになぜ、まるっきり味が違うのか。不思議に思った村井は店のスタッフにその理由を尋ねてみた。

「『トレーニング中のスタッフがデータを計測せずに焙煎した。温度や時間の管理がままならない状態で釜から出したので再現性がない。あれは失われたひと釜だった』のだと。彼らもすごくおいしかったと認めていたけれど、その味を再現できないことにもどかしさを感じていたのです。当時はマシンの性能も不安定で、温度制御が難しい時代でしたしね」

その店で買うコーヒー豆は、期待したほどおいしくないときもあれば、期待をはるかに上回るほどおいしいときもあった。謎が多い世界へと迷い込み、一杯のコーヒーに心を揺さぶられ続けるなかで、村井はコーヒーが秘めた無限の可能性を感じていた。

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100回焙煎して、100回ともあんなコーヒーをつくれるコーヒー屋さんがあれば、どんなに素敵だろう。そんな夢物語を胸に、仕事の傍ら、空いた時間は焙煎や機械いじりに没頭する日々が始まった。

「100g用の焙煎機やエスプレッソマシンを改造したり、技術に長けた人の協力を仰ぎながら、焙煎プロファイルを記録できるソフトウェアをつくったり……。個人で『LatteArtChronicle』というWebサイトを立ち上げ、自身の“遊び”の様子を発信していました。自分でコーヒー屋をやろうとはまったく思っていなかったのですが、トータルで2000〜3000バッジは焙煎したと思います」

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数年間、趣味や副業としてコーヒーに携わっていた村井が2010年にHONOを創業したのは、このままコーヒーシーンが盛り上がっていくのを傍観していたくはない、という心の声に背中を押されたからだった。以来10数年間、焙煎を通して無限の可能性を追い続けてきた。

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「生産者がより高い評価を得るために努力して栽培した生豆は、収穫後、脱殻、乾燥、袋詰めを経て、船や飛行機で消費国まで運ばれてきます。そのプロセスでまだまだ改善できる部分はたくさんあると思いますが、逆に言えば、それだけ伸びしろに溢れているということ。おいしいコーヒーができるように、消費国からも積極的に働きかけている今、その“幸福な螺旋”がもっとクオリティの高いコーヒーを飲める未来を呼び寄せると思うとワクワクしてきますよね。

種からカップに行き着くまでの道のりが長く、関わる人も多いコーヒーの味をつくるうえで、私たちロースターが関われる範囲はせいぜい10%くらいでしょう。できれば自分で栽培したコーヒーを焙煎したいと思わなくもないのですが、その選択をした場合、たくさんの人たちに膨大な知恵や能力を投じてもらわなくてはなりません。

机の上ですべてを完結させられたヴァイオリン製作とは違って、自分が1から10まで携われないのがコーヒーの醍醐味だと思います。どこかでボタンをかけ違えただけで、味は大きく変わる。でもだからこそ、

魔法にかけられることもある。こんなに大仕掛けの素敵なマジックは、どこを探しても見当たらないんじゃないでしょうか」

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楽器づくりの世界を離れ、コーヒーの世界に身を浸した今も、村井にとっての「ロックスター」はガリンベルティだ。現状に安住せず、進化し続けるために、どんなものでも拒まず取り入れてみる。そんな姿勢で続ける試行錯誤が、村井を憧れの存在へと近づけている。

「ガリンベルティもぼくとおなじようにチェロを弾いていたと知った時には、親しみを強く感じました。鍛冶屋から弦楽器職人になった彼は、『静』と『動』を両立させた仕事で魔法の時間をつれてきた人。弦楽器職人からロースターになったぼくは、誰かに同じような体験を届けたいという思いで『MAGICO=魔法使い』と名づけたコーヒーを仕立てています」

文:中道 達也
写真:Kenichi Aikawa
撮影協力:PASSAGE COFFEEambos

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MY FAVORITE COFFEE人生を豊かにする「私の一杯」

朝に飲む一杯目のコーヒーが好きですね。感覚が開いているときによいものを身体に入れるほうがいいし、飲みたいときに飲むほうが気持ちよくおいしさを受け止められるからです。早朝から営業しているコーヒー店に、一段とリスペクトを感じているのもそういう理由です。

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