「私のような人を私が増やす」アンバサダーとして輪を広げる

Sakiko Sone

美術大学を卒業後、カバンメーカーの営業、広告代理店のプランナー職を経て、フリーのバリスタに転身。イベントやマルシェ、シェアオフィスなどでコーヒーを提供する。一人でできることに限界を感じていたなかで、前例のないビジネスモデルで業界を革新するTYPICAの一員となった曽根彩紀子の物語りとは。 ※文中敬称略

この瞬間をいつまでも

2015年春、「コーヒー好き」という共通点だけで集まった12人のひとりとして、サンフランシスコへの旅に参加した曽根は現地で衝撃を受けていた。

「お客さんが一緒にきた人との会話を楽しむために、わざとパソコンを使いにくいテーブルを設えているフォーバレルコーヒー。焙煎機を店の真ん中に据えて、焙煎しているところを見せているサイトグラスコーヒー。店の真ん中にあるカウンターで、バリスタがコーヒーを淹れるところを魅せるリチュアルコーヒー。そして、『どんな飲み方がいい?』なんて聞いてくれるブルーボトルコーヒー……。店ごとの個性が豊かで、コーヒーを取り巻く世界がとても自由だったんです」

旅の呼びかけ人は、TYPICAの共同創業者でもある山田と後藤だ。「コーヒーを淹れる人がいれば、そこはカフェになる」という当時の彼らの考え方に共感していた曽根のなかに、淹れ手にまわりたいという思いが芽生えていた。

生来、興味を掘り下げていくタイプである。雑誌『BRUTUS』に掲載されているカフェやコーヒー店を手当たり次第に訪れるなかで、コーヒーの奥深さに惹かれていった曽根がコーヒーの世界から抜け出せなくなった決め手は、東京・神保町のグリッチコーヒー(GLITCH COFFEE&ROASTERS)との出会いだという。

「バリスタさん(今思えば、オーナーでトップバリスタの方でした)から『トマトの味がしますよ』と紹介されたケニアを飲んでみたら、本当にトマトの味がしてびっくりしたんです。あまりの衝撃で自身のコーヒー観を覆されたそのとき、私みたいな人がたくさん増えたらいいなという思いが明確になったんです」

10数年勤めた広告代理店を数ヶ月前に退職し、フリーの身となっていた曽根は、コーヒー店巡りを続ける傍ら、コーヒーセミナーに参加したり、抽出の練習に励んだりしながら、技術や知識を蓄えること2〜3年。

その後、フリーのバリスタとして、地域のマルシェ・イベントや週末営業店、オフィスへの出張サービスなどでコーヒーを提供。客の反応に手応えを感じる一方で、曽根は現状への違和感を払拭できずにいた。

「身軽だからリスクは少ないけれど、生きていくのに十分な収入を得られず、貯金を食いつぶすばかり。かといって、店を開くような思い切ったこともできない。そんな私の気持ちを見透かしているかのように、後藤さんからは『それであなたは本当にいいの?』という感じで痛いところをつつかれることもありました」

自分の進むべき道を模索するなかで、曽根はあるコーヒー店のオーナーからこんな“指針”をもらったという。

「曽根さんには曽根さんオリジナルの、今までにないポジションがある気がするんだよね。僕もそれが何かははっきり言えないんだけど」

その言葉が腑に落ちた曽根が、前例のないビジネスを展開するTYPICAの一員になるのは必然だったのかもしれない。

「(お手伝いとして参加した)TYPICAが主催するカッピング会で、現地のキュレーターとオランダにいる山田、そして日本の会場にいる後藤や、私たちと参加者がオンラインでつながった瞬間、こみ上げてくるものがあったんです。点と点がつながることの尊さみたいなものを実感したというか、この瞬間をいつまでも見続けていたいと強く感じたことが、TYPICAに応募する決め手になりました」

コーヒー1杯で深まる関係

ひとりでコーヒーの生産地を訪問するほど、曽根がコーヒーにのめり込んでいくきっかけをつくったのはスターバックスだという。

残業続きの日々を送っていた6年ほど前、夜22時頃、会社近くのスターバックスにコーヒーと軽食を買いに行くのが曽根の日課のようになっていた。

「ある日、店員さんが『いつも遅い時間に来てくれますよね』と声をかけてくれたところから話がすごく弾んだんです。今思えば、人間らしい血の通ったコミュニケーションに飢えていたのかもしれません」

家には寝るために帰るだけで、休日もほとんどない。大企業のクライアントが多く、担当者が1〜2年サイクルで変わってしまうため、人間関係も構築できず、クライアントの都合で制作物を作り変えられることもある……。いろんな“無理”が重なっていくなかで、曽根は仕事の意義がわからなくなっていた。会社を去る直前には、ボスから「曽根さん、この仕事、もう冷めちゃったでしょ?」と言われるなど、気持ちはすっかり離れていた。

こうして、ささやかなコミュニケーションからコーヒーのポテンシャルを感じた曽根は、3ヶ月後には広告代理店を退職。コーヒーの世界にのめり込んでいったのは、コーヒーの奥深さに惹かれたからだけではない。

「何度か訪れた店では、どこでもバリスタさんを質問攻めにしていたのですが、初歩的な質問に対しても、みんな嫌な顔ひとつせずに答えてくれたのがとてもありがたくて、楽しくて。コーヒー1杯を通して、急速に人間関係が深まっていく。コーヒーを飲むというより、その店の人に会いに行く。そんな感覚も、私をコーヒーに目覚めさせてくれたのでしょう。

だから、コーヒー前とコーヒー後では付き合う人間も世界もガラッと変わりました。前職時代はビジネスライクな関係だったからか、当時のつながりはほとんど残っていないんです」

未知の自分と出会うために

広告代理店ではプランナーとして、動画やリーフレットなど、さまざまな制作物を通したプロモーションに取り組んでいた曽根だが、高校時代の夢はウィンドウディスプレイのデコレーターだ。店舗空間を華やかに彩る“店の顔”をつくる仕事に惹かれて、美術大学に進学。だが、事情を知るなかで、ディスプレイを企画設計するプランニングの方に興味は移っていった。

「美大に行って感じたのは、私自身、0から1をつくるより、1から10をつくることの方が得意かもしれないということ。何かと何かをかけ合わせ、新たなモノやサービスを生み出していく。そのために大切にしてきたのが、常にインプットする姿勢です。

世の中のトレンドには常にアンテナを張り、広く浅く情報を得て、リサーチを深めることが、ふとした瞬間に役立つこともあります。多くの人に受け入れられるかどうかは、時代の空気感にマッチしているかどうかに左右される。逆に、インプットをしておかなければ、アウトプットはできないと思っています」

曽根がコーヒーを追求し始めたとき、スペシャルティコーヒーを提供する店について「入りにくい」「コーヒーのことを知らないと入れないような気にさせられる」という声を友人からは聞いていた。友人の誤解をていねいに解きながらも、曽根はコーヒー好きを増やす作業を自分ひとりでやることに限界を感じていた。

そんな曽根にとって、つながりやコミュニティを生み出すプラットフォームビジネスを展開するTYPICAはうってつけの環境だった。

「当初はナノロースター、ホームロースターが生豆を共同購入できる仕組みを育む小分け事業に関わっていたのですが、Facebookでつくったコミュニティに、知人を含めた多くの人が参加してくれているところからも、TYPICAが世の中に求められていることを実感しました。コーヒーに関わる人たちの声がダイレクトに声が届く今、目の前の人が喜ぶシンプルな仕事ができていることに喜びを感じています。

システムがどんどん進化しているTYPICAは、自分もバージョンアップしなければついていけなくなる厳しい環境です。プレッシャーはありますが、新しいシステムの中で今まで親切に接してくださった「ロースターさんのために」集中して新しいコトを生み出していきたいと思っています。

私のテーマは、『私が私を増やす』。コーヒーで人生が変わった私のような人を増やしたいというビジョンが、TYPICAなら叶えられそうな気がするんです」

広告代理店を退職後、コーヒー関連のイベントには必ずと言っていいほど参加していた曽根は、多くのロースターと顔なじみになっていた。その場に溶け込み、自ずとコーディネーター的なポジションにいたからか、TYPICAに入社した旨を彼らに伝えた際は、「え、今まで入ってなかったの?」と聞き返されるほどだった。

「平和主義で、調和を優先しすぎるところがある自分自身を変えたいと思ったこともTYPICAにジョインした理由のひとつです。相手の出方に合わせるのではなく、まずは心をオープンにして、自分をさらけ出して共感者を増やす。TYPICAでは、そういう未知の自分に出会っていきたいと思っています」(つづく)

写真:Kenichi Aikawa