Flávio Salles Flávio Salles

Flávio Sallesフラヴィオ・サレス

Aromas do Caparaóアロマス・ド・カパラオー

商業主義に屈さぬように。際立つ個性で健全な世界を

埋もれた原石は、どの世界にも存在する。ブラジルのスペシャルティコーヒーにおいて、エスピリトサント州の持つテロワールはまさにその「原石」にあたる。たとえば、ブラジルで開催される世界最大級のコーヒー業界の見本市・インターナショナル・コーヒー・ウィーク(以下SIC)の「コーヒー・オブ・ザ・イヤー」コンテストでは、たびたび優れたコーヒーとして入賞を果たしている。(直近3年間はすべて、3位以内)

そんなエスピリトサントのポテンシャルに賭け、思い切った投資を進めているのが、農学を学んだ農業エンジニアでもあるアロマス・ド・カパラオー農園のフラヴィオ・サレスだ。所有するコーヒー農園は6ha、年間の生産量は約6トン。3年後には約15トンに増やす予定だ。

コーヒーを栽培し、コーヒーで生計を立てていた祖父を持つフラヴィオにとって、農業で生きていくことは子どもの頃から追い続けてきたロマンでもあった。森や水に囲まれて生きることに幸せを感じるフラヴィオは今、惚れ込んだ場所で人生を賭けた挑戦を続けている。

私の目に狂いはなかった

エスピリトサントには微生物の研究を行う研究機関があり、コーヒー栽培の高等教育機関としての役割も果たしている。その研究機関に素材を提供しているフラヴィオの農園は、いわば“実験場”でもある。修士課程を修了せず、研究者の道に進まなかった「欲求不満な研究者」を自称するフラヴィオは、20種類以上のコーヒーを栽培しながら、研究を続けているのだ。

「農園は周囲をカパラオー国立公園の森に囲まれているため、微生物の生態系があります。谷間を熱風が通り抜けていく夏場は、日中の最高気温が35℃になる。その一方で、約3000mの山を越えて、冷たくて湿った海風が吹きおろす夜は、気温が15℃前後まで下がります。そういった他にはない環境が、コーヒーに独特なテロワールを与えるのです。 

ただし、コーヒーの品質と環境との関連性はまだ、科学的には証明できていません。森や海風がテロワールに影響するというのも、私の主観にすぎません。でも、ここを訪れた人は誰もが、素晴らしい個性や特徴を持ったテロワールがあることに気づきます」

一度、まだ雨季が始まっていない9月に収穫したコーヒーと、雨季に入った後の11月に収穫したコーヒーを研究所に提供したところ、微生物相が50%変化したことが判明した。しかも、カッピングスコアが3点上がったのだ。

「裏を返せば、この地で栽培するコーヒーはそれだけ影響されやすく、脆さがあるということです。収穫が早くても遅くても品質が落ち、コモディティコーヒーとして安価で流通させざるを得ないので、ベストな収穫のタイミングを逃すわけにはいきません。それを避けるには、手間をかけ、細心の注意を払う必要があるのです」

1992年に大学の農学部を卒業したフラヴィオは、大学院での研究を経て、農薬や化学肥料を扱う小売店を7年間経営した。農業生産協同組合(農協)の農業技術コーディネーターとして働いたのち、農業者をサポートする金融機関に就職。その仕事を続けながら、今の土地を買い、コーヒーの種苗づくりを始めた。

「そもそもこの山の斜面に位置するエリアは、7月〜1月にかけて収穫される多様なコーヒーが特徴です。生産効率を高めてコストを下げるコモディティコーヒーではビジネスが成り立ちません。山間部では生産工程を機械化できないからです。だから、これまでコーヒーを生産する人はほとんどいなかったし、やりたくてもできないと思っていたのです」

そんなフラヴィオがコーヒー栽培を始めたのは2015年。SICに出展した際、業界ではスペシャルティコーヒーに注目が集まっていると気づいたことがきっかけだ。

試験的に栽培したコーヒーノキから翌年収穫した1袋のロットをカッピングした際、明らかな違いを実感したフラビオは、コーヒーの栽培に本腰を入れ始めた。「これならビジネスとして存続させられる」というイメージが湧いたからだ。

右端がステファノ

新しい一歩を踏み出したフラヴィオの背中を押したのが、コーヒーの生産・輸出を手がけるUm Coffeeのステファノ・ウムだ。ブラジル国内のほぼすべてのコーヒー産地を巡り、エスピリトサントのポテンシャルに魅了されたステファノは、自身で土地を購入し、コーヒー栽培を始めた人物である。他国のロースター(顧客)を農園に案内するなど、地域全体でコーヒーの栽培を盛り上げようとしてきたステファノに、フラヴィオら地域の生産者は信頼を寄せる。

「エスピリトサントのコーヒーが持つポテンシャルにロースターが魅了されて帰っていく姿を見ながら、私も他の生産者たちもこの地域でのコーヒー栽培に夢を抱き、信じられるようになりました。実際、すべての産地のコーヒーを試飲できるSICに行けば、エスピリトサントやカパラオーのコーヒーが本当に優れていることを確信し、ますます気分が高揚します。私の目に狂いはなかったという確信が深まるのです」

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スペシャルティでマイナスをプラスに

カパラオー国立公園の敷地が所管内にある2つの自治体の人間開発指数(健康、教育、所得という3つの側面から、その地域の豊かさや進歩度合いを測る指標)は、ブラジル国内でも最低の部類に入るという。その自治体で暮らす農業者の多くは、コモディティコーヒーの生産と酪農で生計を立てている。

「それはひとえに、コモディティコーヒーだからです。徹底した効率化、合理化により、生産コストを下げて利幅を増やすしかないコモディティの場合、機械化によってコストダウンできないデメリットは致命的です。だから生産者家族はみな、貧困の連鎖から抜け出せないのです」

だが、コモディティの土俵では勝ち目のない地域でも勝機を見出せるのが、「個性が価値になる」スペシャルティコーヒーの魅力である。労働や品質に見合う公正な価格や報酬を得られれば、この市場は飛躍的に成長する。そんな未来への希望を胸に、フラヴィオは機械化や農園の規模拡大を進めている。ウォッシュドプロセスを経たコーヒーを乾燥させる乾燥機や乾燥したパーチメントコーヒーの皮を剥き、生豆にする脱殻機の導入など、そのためにつぎ込んだ投資額は3000万円ほどだ。

「私の農園では、今の倍の量を生産し、質を高められるポテンシャルがありますが、まだすべてを手作業で行っているため、そのポテンシャルを活かしきれていません。最低限のインフラもない環境において、すべて手作業で生産していたら、スペシャルティであっても経済的な成果が伴わないのが現実です。丹精を込めて丁寧に作業すればするほど、自分の首を絞めることにもなりかねない。

だからこそ、生産コストを抑えるための投資が必要なのです。農業は残念ながら厳密な科学ではなく、その年の気候によって品質が変動するリスクがあります。はっきりしたことは言えませんが、回収するのに5年ほどかかると見ています。

正直に言うと私も怖いんです、あまりにも大きな借金をしているから。でも、私がパイオニアとして成功すれば、投資をする余裕のない他の生産者のコーヒーの精製も助けられるし、彼らも巻き込んでいける。リスクを承知のうえで勇気を出し、全てうまくいくと信じることで、決断力が生まれ、目標を実現に近づけられます。

スペシャルティコーヒーには、地域の現実を変える力があります。SICで『素晴らしい』と評価されたコーヒーがいくつもあるのを見ると、それぞれの生産者家族の喜びと熱意が伝わってきて、とても嬉しくなりますね」

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ロースターとの協力なくして、コモディティ化には抗えない

コーヒーはワインに似ているとよく言われる。育った土地の気候や土壌の質、生態系といったテロワールが、独自のアロマやフレーバーを生み出すからだ。コーヒーにはワインに勝るとも劣らない多様なバリエーションがある。

「ワイナリーやブドウ畑、テロワールによって識別できるワインのようなコーヒーを、私たちも作らなければなりません。

でも、ブラジルのコーヒー業界には、何十年、何百年にもわたって受け継がれてきた伝統的なビジネスモデルがあります。金と権力を持った人々が、外国のコーヒー需要に応えるために組織を結成して大量のコーヒーを買い漁り、誰がどこでどうやってコーヒーを作ったかという情報(トレーサビリティ)を消し去って流通させているのです。

商業主義に身を任せてしまったが最後、コモディティの世界で起こった画一化の波がスペシャルティ業界の中でも生まれるだけです。現にこの地域でも、スペシャルティコーヒーの仲介業者が誕生し、生産者の努力を顧みない価格基準をつくろうとしています。つまり、スペシャルティコーヒーの“コモディティ化”が進められようとしているのです。

いったんそれを受け入れると、遅かれ早かれマーケットは彼らに掌握されるでしょう。商業主義は、多様性や背景、ストーリーといった非合理的なものを必要としていません。私たちは世界に大勢いるスペシャルティコーヒー生産者の一人として、名前のない存在になってしまうのです。

これが健全な姿と言えるでしょうか。『それぞれが違う個性を持った個別の存在』という状態を維持するためには、私たち生産者とロースターが協力し合うしかないのです」

勝者と敗者をつくる資本主義の構造を理解したうえでなお、フラヴィオは明るい未来を信じている。2021年、農園のコーヒーを国内のバリスタ大会で使用し、2位に入賞したノルウェーのロースターが2022年も買い付けに来るなど、エスピリトサントという地域に関心を寄せるロースターは増えている。

「こういう直接的なつながりを私たち生産者は望んでいます。私たちの農園を訪れ、湧水を飲むような感覚でコーヒー生産の実態を知ったロースターが、自ら違いを発見し、感動した経験は、おのずとトレーサビリティになるでしょう。

たとえば去年、初めて農園に来た日本人は、帰り際に『あなたと直接話ができるように、ポルトガル語を勉強します。次は家族も連れて来たいです』と言ってくれました。私たちもロースターも、直接会うことで感動と喜びを分かち合えるのです。

私たち生産者はより高い品質を追求しながら、継続的な改善に努める一方で、ロースターはその現状を認識し、生活者に広めていく。その相互作用により相乗効果を高めていくためにも、ロースターの人たちはまず、私たちの農園を訪れていただきたいと思います」

文:中道 達也