VWI by CHADWANG チャド・ワン

VWI by CHADWANG

チャド・ワン

「完璧じゃないからおもしろい」“永遠”の好奇心で世界を紐解く

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台湾で4店舗(うち1店舗は期間限定)のカフェを展開するVWI by CHADWANG(以下、VWI)。その名の通り、2017年にWBrC(World Brewers Cup)優勝を果たしたチャド・ワンがプロデュースしたブランドだ。

2018年の創業当初から海外進出を視野に入れていたVWIは、水準を保つためのスタッフ教育や業務の部分的な標準化を推し進めながら成長を続けてきた。現在、スタッフは24人。その約8割を正社員として雇用している。

コーヒーを探究し続けた先で、自分の名を冠したブランドを立ち上げ、運営してきた経験は、「とても内向的で恥ずかしがり屋だった」チャドの人生に何をもたらしたのか。バリスタからオーナーへと進化を遂げるなかで、変わったものと変わらないものは何か。VWIの精神とともに、彼の足跡を辿ってゆく。

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海外展開を見据えて

蒸気=Vaporと水=Waterと氷=Ice。水の三態に由来する「VWI」は、チャドが「ドリップコーヒーとは何か?」という問いを突き詰めた末にたどり着いたひとつの答えである。

「ドリップコーヒーの本質は生豆と水だと思います。比率で言うと、生豆が1.5%で水が98.5%。水がとても重要だと多くのバリスタに気づいてもらいたいのです」

水に対するチャドのこだわりは、水道管に取り付けられた5層のフィルターが物語っている。水中の不純物や塩素を除去する第一層に始まり、活性炭により雑味を取り除き、pH値を下げる第二層、純粋な水に近づける第三層。さらに、コーヒーの抽出率を高めるマグネシウムイオンとカルシウムイオンを追加する第四層、最後に再び活性炭の第五層をくぐり抜けてようやく、「コーヒーに使う水」という役割を与えられるのだ。

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各店舗の水質を均一に保つために、VWIでは不定期の水質検査も欠かさない。毎年、降水量が安定せず、水質の変化が大きくなる5月と11月は、いつも以上に注意を払うという。また、海外への多店舗展開を見据えて、「TDS(総溶解固形物)値は40〜60、pH値は7〜7.4をキープする」と指標を明確化し、バリスタの経験値に頼らない体制を構築しているのだ。

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まずは台湾全土での店舗展開をマイルストーンとするVWIは現在、常設のカフェを台北、新竹、台中と、すべて違うエリアに出店している。店舗数が増えるほど、ブランドの水準を保つことが難しくなる未来を見据えて、創業当初から手を打っているのだ。

各店舗の店長に対しておこなう研修もその一環だ。コーヒーの抽出技術やカスタマーサービスの質を高めるのはもちろん、ブランドの精神や哲学への理解を浸透させることで、チャドや本部の責任者がサポートしなくても会社がうまくまわる仕組みを整えてきた。

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尊重し合う関係性を

そうはいっても、すべての業務を体系化、標準化しようとしているわけではない。VWIが特に注力する接客においては「バリスタにSOPを一切与えない」というきわめて属人的な手法を採っている。むろんVWIの理念を踏まえたうえで、接客スタイルは個々の裁量に委ねているのだ。

「私たちは“人間の味”を伝えたいからです。カフェに来る人々を、自分の家を訪ねてきたゲストのように迎えるのがバリスタの役割です。VWIのバリスタは、いわば友達のような感覚でお客様に接していますが、一緒にお酒を飲みに行くほど打ち解けた関係性でもない。すごく微妙な間柄なんですよね」

目の前のお客様は何に興味を持ち、何を求めているのか。客との会話を通じて相手のニーズを理解するよう努めながら、必要な情報を過不足なく提供する。それが、接客においてもっとも重要視しているところなのだ。

「以前、百貨店でブランドの販売員をしていたときに学んだのは、お客様をたえず気にかけているのが大事だということ。VWIのバリスタにも、お客様がコーヒーを注文した後や飲み終えた後、何か要求やフィードバックを伝えたいというサインを見逃さないように伝えています」

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VWIのカフェでエスプレッソマシンを壁側に設置する「ギリシャ式」を採用しているのは、客との距離感を遠ざけないためだ。カウンター前に広いスペースを確保したり、バリスタがカウンターから店内を見渡せる空間を設計したりと、顧客満足度を高める工夫が凝らされている。

「VWIのバリスタには、『コーヒーの知識が豊富なプロ』としてお客様から信頼される存在でいるよう求めています。実際、コーヒーについて知りたいことがあるときや新しい豆が入ったときに再来店されるお客様が多いのは、深くて厚みのある関係を築けている証でしょう。

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私たちが大切にしているのは、バリスタとお客様がお互いに尊重し合う関係です。人間はみんな同じです。バリスタがお客様を尊重すると同時に、お客様にも同じような敬意を持ってバリスタに接していただきたいのです。

だから、強烈な敵意を抱いて店に来たお客様には、もう二度と店には来ないようにお願いします。私たちの店に来てくれることにはとても感謝しますが、私はオーナーとしてスタッフを守らなければなりません。

原則としてメニューにないものは提供しなかったりと、できないことははっきり断っているのも同じ理由です。ただ、常連のお客様から『何か今日は特別なコーヒーが飲みたい』『(自宅から持ってきた)この豆でコーヒーを淹れてほしい』というリクエストをいただいた場合は、店長の判断で応じることもある。“友達”の望みを叶えるのは、人として当然だからです。基準は曖昧ですが、人と人との関係は特別で複雑なので、むしろそれが自然だと思っています」

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コーヒーを知り尽くすために

今でこそ積極的に自分自身について発信し、メディアに露出する機会も多いチャドだが、かつては極めて内向的な人間であり、友達をつくることも苦手だった。子どもの頃は、海で泳いだりダイビングをしたりしながら、生き物を観察することが趣味だったという。

「水の中はとてもリラックスできる、静かでおだやかな世界です。特に海の中の魚は、色や形も違えば、行動も違う。多様性に満ちたその世界に触れることに喜びを覚えていたんです」

そんなチャドには、「お菓子屋を開く」目標を立て、スイーツづくりに専念していた時期がある。当時、コーヒーは店の経営を成り立たせるために必要なものという位置づけでしかなかった。だがコーヒーを学ぶにつれ、コーヒーが人生の中心を占めていくのは時間の問題だった。

「スイーツとコーヒーで大きく違うのは、自由度です。とても厳格なレシピに従って作らなければならないスイーツに対して、コーヒーの世界の広がり方は無限大だなと。さまざまな固有のフレーバーがあり、産地や精製方法、焙煎方法、バリスタによって驚くほど違いが生まれることに気づいたとき、私はすっかりコーヒーの世界に魅了されたんです。

加えて、お客様から喜びの声をいただける頻度が圧倒的に高いこともコーヒーに惹かれた理由のひとつ。注文を受けてから一杯のコーヒーを淹れるまでわずか2分程度で、お客様の反応が見られるわけですから」

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その後、本格的にコーヒーを研究するようになったチャドがSCA(スペシャルティコーヒー協会)の講師職を選んだのは、「SCAの教育システムを活用すれば、一番速くレベルアップできる」と実感したからだ。

「もしカフェで働き、すでにその店で確立されたやり方に従わなければならない場合、できることに限りがある。一方で講師になれば、講師になれば、他のバリスタやコーヒー愛好家と知り合いになって、さまざまな角度からコーヒーを研究できるぶん、全面的な理解に近づけるだろうと。コーヒーごとの違いを尊重する姿勢を学んだのも講師の仕事をしたおかげですね」

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ストレスに打ち勝って世界一へ

2015年にSCAの講師に就任したチャドが、WBrCのチャンピオンを目指し始めたのは、前世界チャンピオンであるステファノス・ドマティオティスとの出会いがきっかけだ。「あなたはすばらしい選手だから、ぜひ大会に参加するべきだ」という一言に背中を押されたのだ。

それから約1年。ステファノスの目に狂いはなかったと証明するかのように、チャドははじめて出場した2016年の大会で台湾1位、世界3位という成績を収めたのである。

「後々わかったのは、ステファノスがそう声をかけたのは私だけではなかったということ。見込みがあると感じたバリスタだけでなく、会ったばかりのバリスタもそうやって励ますのが彼なんです。いずれにしても、私が真面目すぎたのです(笑)」

ステファノスの言葉がどういう意図で発せられたものであったにせよ、チャドの心に火がついたことは事実だった。どうすれば世界一になれるかを問うなかで、抽出技術やプレゼン内容はもちろん、審査員が評価をするときの感情も研究対象のひとつになった。

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もっとも、チャドの思索はその次元に留まらなかった。どうすれば大会のステージで緊張せず、普段通りの力を発揮できるか。その問いの答えとして導き出したのが“金魚の水槽”でのトレーニングだ。

チャドがトレーニングルームに設定したのが、カフェ店内の広さ8㎡ほどの部屋だった。前方の壁を全面鏡張りにしたのは、プレゼンテーションをする自分の表情やジェスチャーを確認するためだ。本番で大勢の観客の目にさらされる場面を想定し、隣の実験室を訪れた客や見学者が自身の様子を見られるように、右側の壁を全面ガラス張りにした。見学者ともコミュニケーションをとらず、練習に集中するチャドは、「さながら水族館で鑑賞されている金魚」だった。

「左側と後方の壁に約30cm四方の窓をひとつしか設けなかったことも、実験室などで使う白熱灯を部屋の照明にしたことも理由は同じです。大会の会場よりはるかにストレスがかかる環境に身を置いて、精神を鍛えたかったんです。実際、本番の舞台に立ったとき、会場は広くて空気が新鮮だとすら感じましたから」

こうした努力の甲斐あって、2017年、2度目の出場で世界チャンピオンに輝いたチャドは、次のステップとして自分の名前を冠したブランドを育てていくことに決めたのである。

「第一に、コーヒーの専門知識や技術を伝えていくために、カフェを開き、チームをつくろうと考えたこと。そして第二に、私に会いたい人が会いに来られて、私自身も多くの人に会える場所をつくりたかったことが理由です。もし世界で一番おいしいコーヒーを淹れたとしても、飲む人がいなければ一円の価値もありませんからね」

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不完全な世界で生きる

2018年、29歳のときにVWIを創業してから約4年。一人ひとりの客と向き合い、サービスを提供する役割から、チームをマネジメントし、店長やバリスタを育てる役割へ。バリスタからオーナーになったチャドは近年、新しい人生の愉しみ方を見出しつつある。

「人と接しなければならない機会が増えたからか、人に心を開けるようになりましたし、友達との交流がとても楽しいと感じるようになったんです」

とはいえ、ぶつかった壁もある。自分に求めるのと同等の厳しさをスタッフにも求めることが成長への近道だと信じていたチャドは、あるときそれが逆効果だと気づかされる。かえって感情が不安定になり、仕事のパフォーマンスが下がってしまうケースが複数見受けられたのだ。

「そこで取り入れたのが、一つクッションを挟んで、現場のスタッフに指導する現在の仕組みです。私がスタッフに伝えたいことは、マネージャーを通して伝える。そして、チームの本部の責任者や店長などには比較的厳しく接し、彼らが他のバリスタを指導する。そう変えたことで状況は改善されています。私が現場に行ったときは、スタッフに明るく接するように心がけていますね」

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考え方や心境の変化に伴い、チャドが個人Facebookページのタイトルを「Brewing With Style」から「Brewing With Heart」に変更したのは2021年のことだ。

「人間はお互いを完全に理解することはできません。その前提に立ったうえで、より人を深く理解しようとするために必要なことは何か。現時点で私の心が教えてくれた答えは『互いの尊重』です。ただ、数年経ったらまた新しい考え方が生まれるかもしれません。人間は本当に複雑ですから。

そんな現実を前に私がいつも自分に言い聞かせているのは、『世界は不完全であり、不平等だ』ということ。それは決して言い訳をして諦めるための悲観ではなく、自分を成長させるための前向きな解釈です。そう捉えれば、他人や自分を許すこともできますしね」

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WBrCの当日のことを、チャドは今も鮮明に覚えている。出番を待つチャドはおまじないを唱えるように、自身にこう言い聞かせていた。〈勝つために必要な練習をすべてやり終えた今、これ以上自分にできることはない。会場で何が起こるかはわからないのだから、その場で出せる最高のパフォーマンスを出すしかない〉

「そのとき『不完全』という前提を立てておくことで、自分の心を守ろうとしたんです。そんなふうに物事は多様な見方ができるし、改善の余地は山ほどある。だからこそ永遠に好奇心を維持しながら、物事に向き合い続けることが大事だと、常に言い聞かせているんです」

コーヒーに心を奪われたチャドにとって、人と交わる喜びを教えてくれたVWIはきっと複雑に絡み合った世界を紐解くための大きな“研究室”なのだ。「複雑だからおもしろい」そんな世界の奥深さに魅せられたチャドの思索と実践の旅は、永遠に終わりを迎えることはないだろう。

文:中道達也
写真:Ray Jiang @fade_aray

MY FAVORITE COFFEE人生を豊かにする「私の一杯」

人は複雑な生き物なので、毎日幸せでいることは難しいと思います。ただ、自分が淹れるか別の人が淹れるかに関わらず、期待を超えるすばらしいコーヒーを飲んだときに、幸せを感じます。

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