TYPICA GUIDE
LANDMADE ランドメイド / 上野 真人

LANDMADE

ランドメイド / 上野 真人

「コーヒーなら、人を助けられる」理不尽を味わう“家族”のために

神戸市ポートアイランドで、スペシャルティコーヒー専門の焙煎所「LANDMADE」を経営する上野真人さん。メインスタッフは全員女性、医療技術の研究開発拠点として国から指定されている地域に店を構え、月に一度は小児がん患者の家族にコーヒーを振る舞うーその運営スタイルは一般的な焙煎所のイメージとは少し異なる。

「自分にできることをただやるのみ」上野さんは純粋に、その考えを実行して積み重ねてきた。何を考え、何が彼をそうさせたのか。話を伺う中で見えてきたものとは。(※文中敬称略)

働きにくい業界に未来はない

「LANDMADE」の主力スタッフは3名。小規模の焙煎所としては珍しくないが、全員が子育て中の母親という点は少しユニークだ。中にはシングルマザーや片道2時間半をかけて通勤する人もいる。主軸の卸事業のほか、店内ではコーヒー豆や加工品の小売も行っており、彼女たちが焙煎から発送作業、店頭業務までを担う。

「時には、子どもの事情で店を閉めなければいけない、商談や取引に行くことができない、といった事態も発生します。それで取引がなくなることもありますが、まったく気にしません。だってお客様は日本にも世界にもたくさんいらっしゃいますから。でも、子どもから見たらお母さんは一人だけ。優先順位が全然違いますよね」

上野にとって彼女たちとその家族は、何をおいても優先すべき存在だ。

「この人となら一緒に苦労できる。この人がピンチに陥ったら自分が寝ずにでも頑張れる。そういう人を採用できたことが僕にとっては一番嬉しいんです」

そもそも上野が独立を決意したのも、女性が働きにくいコーヒー業界の現状を目の当たりにしたからだ。

「15年ほど前の話ですが、僕の経験上、バリスタの90%以上は非正規雇用で、年収も180万円以下の人ばかりでした。なのに拘束時間は長くて、休みも週に半日とかしかない。しかもその半日に、高いコーヒー豆と牛乳を買い込んでラテアートを練習する、というのが当たり前の環境でした。

そのような状況では、女性は働き続けられません。結婚して出産した後に、戻ってくる場所がない。実際に泣きながら辞めていった人を見たときに、優秀な人がこういう形で辞めざるを得ない業界に未来はないのではと思いました。そういう人が辞めなくてもいい会社を作りたかったんです」

そして開業前の2014年、たまたま骨髄移植のドナーとして入院している時に、近所に小児がん専門治療施設「チャイルド・ケモ・ハウス」があることを知った。この地で店を開こうと思った瞬間だった。

「その活動内容が本当に素晴らしくて。何か応援できたらなと思ったんです」

上野は「LANDMADE」のオープンから5年半経った今も、月に一度は同施設や近隣病院に入院する子どもたちの家族に無料でコーヒーを提供する。

「お子さんが大変なのはもちろんですけど、親御さんがものすごく疲弊するんです。子どもの前では苦しい顔はできないけれど、実際はつらくて仕方なかったりします。その思いを先生方に吐き出す時にコーヒーがあれば少しでもリラックスできるのでは、と思って振る舞っています」

クリスマスの時期にはNPO団体と協力してプレゼントのカタログを作り、希望のプレゼントを子どもたちに渡す。コーヒー生豆専門商社のボルカフェが主催したイベントでは、売り上げの一部が同ハウスに寄付されるなど、近年では協力企業や店舗も増えてきた。

自分ができることで周りを助ける。そこに見返りへの期待や打算はない。

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自分しか報われない、そう気づいて虚しかった

周りへ向けられる上野のその思いは、自らの生い立ちと無関係ではない。幼い頃から家庭環境で苦労してきた。一家で営む小さな酒屋は売り上げが芳しくなく、父は酒癖が悪かった。

「父が酔って母親を殴り、それを止めようとした僕も一緒に殴られるみたいな毎日で。子どもだから全力を出しても勝てなくて、すごい理不尽だなと思っていました。結局父親は商売がうまくいかず、僕が高校一年の時に蒸発してしまって多額の借金が家に残りました」

小学生の時から遊ぶお金がなく、テストで点数を取ることがゲーム代わりだった。

「ファミコンとかも買ってもらえなかったんですよ。加えて両親が共働きだったので、本当に暇で。暇すぎて、教科書くらいしか読むものがなくて、勉強にハマったんです」

気がつくと進学校に通えるほどの実力がついていた。母親の応援もあって入学した中高一貫校で初めて、自分の家庭の経済状況を悟った。

「家の大きさも全然違いますし、周りを見て初めて自分たちが貧しいことを実感しました。学校も相当無理をして通わせてくれていたんだと思います。だから父親がいなくなった時にも責任の一端は自分にあるのでは、と罪悪感を抱きました」

ゲームはそんな状況の中で見つけ出した暇つぶしだった。

「お金がないとグレることすらできないんです(笑)。タバコも高いですし。それで格闘ゲームを始めました。当時のゲームセンターでは対戦を申し込む人が100円を払うというシステムだったので、負けなければずっと遊べるということに気づいて。ひたすらやり続けました。

本当に強くなるにはどうしたらいいかと考えて色々な本も読みました。例えば体の7割を占めている水について調べたり、リスク&リターンを瞬時に判断するために株の本を読んだり。姿勢を良くすることや、反射神経や動体視力を鍛える工夫もしました。やれることがわからないから片っ端からやってみるという感じでしたね」

そうして頭角を現し始めた上野を、次第に周囲のゲーム仲間が支援してくれるようになった。

「周りは30代とかの大人が多くて。ゲームセンターと同じ機械がある人の家に通わせてもらったり、地方の強い人と対戦する時にアポイントを取ってくれて、車や宿代を出してくれたりと、すごく助けてもらいました。運がよかったんです。そういう人たちがいたからのめり込めました」

上野は最終的に二度、全国一位を達成したという。だがその心境は複雑だった。

「もちろん応援してくれた人たちは喜んでくれたんですけど、勝っても直接的に報われるのは自分だけだなと気づいて虚しかったんです。だからコーヒーに出会った時は、これなら自分が頑張れば、周りへの支援にもつなげられる、最高だなと思いました」

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飲めなかったコーヒーに向き合う

実は子どもの頃からずっとコーヒーが飲めなかったという上野。高校卒業後、働き始めたイタリアンバールでドリンク担当を任されたことからコーヒーとの付き合いが始まった。

「本当は会計士になろうとしていたんですけど、飲食店で働き始めたらすごく楽しくて。自分がしたことで目の前で喜んでもらえることにシンプルに嬉しさを感じました。

飲食業で働くために必要なことは何でもやる、と思っていた中でコーヒーにも向き合うことになりました。当初コーヒーは苦いだけでしょと思っていたのですが、お店で注文されるお客さまがすごく多くて、美味しく思えないのは自分の勉強不足が原因だと気がついたんです」

上野はイタリアンバールでフルタイム社員として働く傍ら、スターバックスで早朝アルバイトを始めた。コーヒーに対する苦手意識は消えなかったが、そこで初めて厳しい生活を強いられている生産者の現状を知り、強い関心を抱くようになった。

スターバックスでは独自の基準に適合するコーヒー豆を相場よりも高い価格で農園から買い取る仕組みを採用していた。生産者に正当な対価を払うその姿勢に感銘を受けるとともにコーヒーの世界をもっと追求したくなったという。

「業界で働くなら原料のコーヒー豆を扱えるようにならなければ厳しいと気づいて。一年半ほど焙煎業務の仕事を探していたところ、知人に紹介されたマツモトコーヒーさんで働かせてもらえることになりました」

入社して初めて、マツモトコーヒーが輸入から卸、小売まで手掛ける生豆問屋だったことを知った。業務も生豆のサンプル焙煎から、客や生産国とのやり取り、焙煎豆の小売まで多岐にわたった。念願の焙煎業務にも入社直後から携ったものの、その習得は生半可ではなかった。

技を教えてもらえるわけでもなく、見せてもらえるわけでもない。ただ「焼け」とだけ言われて焙煎したコーヒー豆は美味しいはずもない。そのうえ何が原因なのかも、どこを改善したらいいかもわからず途方に暮れたという。

「ゼロからやるしかないと思って、手当たり次第本を読みました。手に入る情報は全部試し、その中でこれが良さそうだと思うことをひたすらやりました」

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味覚障害を機に、一から舌を作り直す

根を詰めて取り組む中で、ストレスが身体を蝕んでいたのだろう。入社して一年が経つ頃には味覚障害に陥った。それでも上野はその経験すら「コーヒーと向き合う良い機会」と捉え、一から味覚を鍛え直した。

「真っ黒に焦がしたコーヒーと、豆の個性がはっきりとわかるコーヒーを飲み比べるところから始めました。どちらも最初はお湯の味しかしなかったのですが、気をつけて味わうと少し違うな、ということに気がついて。その違いを覚えていき、甘味や苦み、酸味、塩味、それから渋みも含め、一つ一つ目盛りを作る感覚で味覚を構築し直しました。これを毎日繰り返して、2年くらい経つと他の人が感じる味の差はだいたいわかるようになっていましたね」

苦難の連続の中で諦めようとは思わなかったのか。

「毎日嫌でしたよ(笑)。でもイタリアンバール時代、周りの同僚やお客さんにものすごく良くしていただいた中で辞めたので、裏切れないよなと。それにマツモトコーヒーみたいな会社が利益を上げていく方が、業界全体にとっても良いと思っていたんです。環境は厳しかったけど商売はとても誠実で、心から信頼できましたから」

焙煎技術が進歩し、売り上げが伸びていく中で、上野は徐々に社長にも信頼されるようになっていった。

だが、彼の鍛錬に終わりはない。独立した今も、甘んじることなくそのストイックな姿勢を貫いている。

例えば、食べ物や飲み物。何かを口にする瞬間は全て、上野にとって学びとなっている。

「コーヒーを評価する上で重要な指標の一つが舌触りです。ただ、日常生活で液体の舌触りを意識することってほとんどないですよね。だから僕は口に入れるもの全ての舌触りを確認するようにしています。修行の時間は限られているので、生活のすべてをコーヒーに結び付けているんです」

仕事を長く続けるため、体づくりや食生活にもこだわる。食事は一日二食以下。プライベートでは一切コーヒーを飲まず水しか飲まない。心拍数を上げない方が良いと聞いてからは無酸素運動をやめ、有酸素運動に切り替えた。

月に一度開催される勉強会では、日本全国から集まった優秀なロースターたちと焙煎の腕を競い合う。 事前に指定されたコーヒー豆を焙煎して持ち寄り、一番美味しく焙煎できたのは誰かを投票で決めるのだという。

「4年連続でJCRC(ジャパン コーヒー ロースティング チャンピオンシップ)の優勝者が出ているその勉強会は、全員が真剣勝負で挑みます。僕も世界一を目指しているので、もっと周りの人と戦って切磋琢磨していきたい。置いてけぼりにされたら面白くないですからね」

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社会にとって役立つコーヒーを

そのひたむきな情熱は、業界や周囲の人のために役立つビジネスをしたいという姿勢にも通じている。

「僕は社会貢献とビジネスは車の両輪だと思っています。ビジネスが上向いたら社会も良くなるという循環にしていきたい。コーヒー業界や生産国の現状が改善できるコミュニティを作っていきたいんです」

だが、上野自身に並外れたことをしている感覚はない。困っている人がいると放っておけない、ただそれだけだ。

「意識して誰かを助けようと思っているわけではないんです。単純に自分が関わっている業界の中で、大変な思いをする人はいない方がいいよねっていうくらいで」

そこには、自身の家族への思いが重なる。

「本当はタイムマシンで戻って自分の家族を助けられたらいいんですけど。それが叶わないので今後出会う人はせめて、不遇な目に遭わないといいなって。

自分に対しては本当に欲がないんです。今も布団があればありがたいと思いますし、『幸せの沸点が低すぎる』と周りからはよく言われます(笑)。ただその分、お金ができたら後先考えず人のことに使っちゃいますね。クラウドファンディングに参加しても、リターンはいらないのになと思っています。それは多分、昔お金がなかった頃の反動から来てるんじゃないかな」

そんな上野の望みは、理不尽な環境に置かれている人を一人でも多く減らすこと。そのために、「LANDMADE」の器を広げていくのが今後の目標だ。

「LANDMADEでは、ゆくゆくカフェを開きたいと思っています。たとえば妊娠中や子育て中は昼間に焙煎や発送業務を行い、独身の時や子育て後はカフェで夜まで働く、など働き方が複数あれば,同じ会社で辞めずに働き続けることができますから」

熱のこもった目線は、遠く離れた生産者にも向けられる。

「現在、お笑い芸人のキングコング・西野亮廣さんと進めているところなんですけど、農園を購入して、農家の方達を雇用できる体制を作りたいと思っています。生産量に関わらず、安定した月給を支払い、最低限の生活を保障したいなと。

実現すればスタッフが実際に農園に行き、栽培から収穫までのプロセスを体験することもできる。そのコーヒー豆を店頭で販売すれば、お客様への説得力も変わってくるはずです。それから安定した収入があれば、今まで輸出されていた高品質のコーヒーが生産国でも飲めるようになるかもしれない。その国のGDP向上にもつながります。課題は山積みですが、一つ一つ解決していきたいと思っています」

スタッフ、小児がんの子どもたちとその両親、そして生産国の人々まで。上野の目に見えているのは、「LANDMADE」を通じてつながる“家族” なのだろう。

文:KANA ISHIYAMA
編集:中道 達也
写真:直江 竜也

MY FAVORITE COFFEE人生を豊かにする「私の一杯」

毎日少なくとも2〜3時間は焙煎の検証にあてているのですが、カッピングをして焙煎の考え方や技術が進歩したなと思う時に一番幸せを感じます。今まで試してきたことがノウハウとして溜まっていって、点と点が線で繋がって、ほんの1ミリでも前に進めたな、レベルアップしたなという実感が持てたときに嬉しくなりますね。ゲームをやっていた10代の頃を思い出します。

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